NINTENDO

回顧録

トイザらスの’’R’’ってなんなんでしょうね。

私はかつてテトリス中毒だったのだが、渡米してからほどなくあまりに暇なのでいっちょアメリカでテトリスを買うべと思い立ちトイザらスに向かった。今でこそ、トイザらスはここ日本でもメジャーなものになっているけど当時は日本に進出しておらず、当然知らない私は「何かへんてこりんなでかいおもちゃ屋」という認識だった。

大きな店内すべてがおもちゃというスケールにアメリカを感じながらテレビゲームコーナーへ向かう。驚いたのはその見た目だった。

こんなやつ。

とりあえず、レジへ行き小切手を切ろうとしたが宛名のToys “R” Usの逆Rとか書き方がわからず、苦労した。店員がやさしく教えてくれ、ソフトのテトリスを見て「これやるんだ。俺もやってるけどねー、あっちいたったり、くるくる回ったり、なんせむつかしいんだよねぇ。まぁ、がんばってくれ」的なエールを送られた。「お前は友達か」とも思えるような会話を店員とすることは日本ではないであろう。

その後テトリスにどっぷりハマった私はある日異様な光景を見た。ブラウン管のテレビを消して真っ黒な画面をよく見てみるとうっすらとテトリスの画面が焼き付いていたのである。「中毒やな」って自分に吐き捨てるようにつぶやいた。でも、やめなかった。テトリスをすると何だか頭の回転が良くなる気がしていたので。友人からは落下スピードが速すぎて気持ち悪いっていわれてたけど。

その後、日本でいう「スーパーファミコン」はアメリカでは「スーパーニンテンドー」として発売された。そしてあのスーパーマリオカートが販売されてしまって、またこれにドハマり。

「俺は学生やったよな」と時々我に返り諫める日々を送っていた。そうその頃はまだ知らなかった。

こいつが世に放たれることを。

時は流れ、ゲームは随分進化したが、プレイヤーの自分は衰えた。今はほとんどゲームはしない。疲れるのだ。だけど今は、

こいつが息子を中毒にしている。

遺伝て恐いな……….

 

 

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