Air Mail

回顧録

今では考えられないだろう。

インターネットのない時代。今から35年ほど前の時代。私はアメリカにいた。当時のコミュニケーションアイテムは二つしかない。電話と手紙だ。

留学生にもいろいろいて、ホームシックに苛まれる人、エンジョイする人、様々だ。前者の人たちはよくこう吐露していた。「国際電話が高い」と。一か月数万円も日本との電話に費やしてりしていた。そうして、精神的にも経済的にもつぶれて日本へ帰ってしまう人を何人見たことか。特に日本に彼女彼氏がいる遠距離恋愛をなさっていた方々は居ても立っても居られない思いに数え切れないほど悩まされたことであろう(私には無縁でしたが)まぁ、あっさりこっそりこっちでパートナーを見つける面々もちらほら見受けられましたが。。。

私はもっぱら手紙を駆使してました。親や友人らにせっせと黙々と書いておりました。でも、それが読まれるのは10日後、遅くて数週間かかったりする。瞬時に届いて即座に読まれるネットの時代からしたらもう超絶信じられない時代だった。もし、今のようにSNSやZoomなんかがあったら、もっと遠距離恋愛は続いていたかもしれない。あくまで延命措置のように思うけど。。。。

ただ、瞬時に届くということは、すぐに返事を求められることを意味する。LINEのように既読がでないとやきもきする感覚だ。便利とは裏返せば忙しく急かされる、物事の処理完結を迅速に求められそれが常識化していく。果たしてそれはどうなんだろう?急かされるのは好きですか?

手紙はのんびり出したのを忘れるぐらいだ。それでも当時は国を越えて手紙がこんなに早く届くなんて、江戸時代とかではありえへんなぁ。って思ったりしたものだ。受け取った方も手が空いた時、思い出したかのようにお返事をしたためる。そして切手がない、郵便局へ行く用事がない、とかで何日も書いた手紙をほっとらかしにしていたりする。でもそんなのはお互い様でそんなのも含めて、その人とだけのやりとりパッケージになっている。やりとりの一つ一つに重みがある。

この先、紙ベースの通信手段は激減していくことだろう。でも、かつてコミュニケーションの花形であった手紙とその良さを記憶にいつまでも残しておきたい。

 

 

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