ボンボンたち

回顧録

日本からアメリカに来る留学生は金持ちのボンボンもそれなりにいた。バブル末期の日本経済はまだまだ勢いがあったから普通のサラリーマンの子供も大勢いたな。でも、当時の円ドルレートは今より円安だったけど、物価がアメリカは総じて安かったのを覚えている。

ボンボンはそれなりにいた。思い出す限りでは某ゲームソフト会社(今でも超有名)の御曹司や醤油で有名な某企業の御曹司、某自動車メーカー販売ディーラーの元締めの息子などなど。あとインドネシア人で国では財閥レベルの金持ちの息子(でもいつもショボいバイクに乗っていたけど)

中でも印象的だったのが、大阪出身の〇コト君。よく授業の休み時間に外でだべった喫煙友達だった。彼の親父は当時のバブリー日本にありがちが不動産会社の御曹司で成金のお手本のような人だったらしい。毎月私からしたらとんでもない額の仕送りがあり、毎週末パーティ三昧を送っていた。

ある日、いつものようにタバコを吸いながら話していると「何で、俺がアメリカ来たかわかるか?」とぼそっと言ってきた。当然わからない旨の返答をすると、「俺のオヤジはほとんど家にいいないで遊びまわっている。そんで、オカンは継母やねん。」と顔色ひとつ変えずに話出した。「俺は邪魔者扱いやねん。まぁ、いわゆる国外追放やな。」そう語る表情になぜかあまり寂しさは感じなかった。もうそうゆうのを通り越していたのだろうか。

数か月あと、彼は大学に来なくなった。どこに住んでるかも知らなかったし、他の共通の知り合いいないただの喫煙の友だったので、消息は知る由もなかった。その後二度と会うことがなかった。

思い出せば、他のボンボンたちが最新の日本車のスポーツカーを乗り回す中、彼が乗っていたVWカルマンギアがやたらカッコ良かったを覚えている。

 

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